ピアノよもやま話

For rediscovering the piano

ピアノ再発見のために

Vol.21

前回のよもやま話から2年、体調を崩した事もあって、書きそびれてしまいました

拙い文章ながら期待して下さる方が居ると聞き、なるだけ実の有る話をと悩んでいます。

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そもそも、このエッセイの動機は、京大の音研「シリンクス」の方達が当工房で研究会を年3回開くにつけ、その都度発行されるエッセイ集に、「ピアノの構造について」投稿するよう幹事さんからの要請を受けたものでした。構造の本は内容が大変複雑で、本体を前にして数時間お話ししても解らない世界なのです。

従って、現場の体験談を記そう思ったのです。

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私は昭和29年にこの道に足を踏み入れてから今年で58年になります。

その間、色々な経験がありました。その中で今回取り上げようと思った事とは、今盛んに問題になっている、いじめ問題です。

先ずいじめ問題は、昔から何処にでも有る現象であるという事。私も少なからず受けてきた一人です。

子供に限らず、大人の社会でも、職場の中でも、政治家の間でも、国同士でも有りますね。

特に、子供の世界は残酷です。自己顕示欲が強く、彼われの判断が曖昧で、自制心等は環境によって育ち方が変わるようです。

人は、無意識に他人との関係を常にボクシングで言うジャブを出して間合いを計っています。

親友だと思っていても、ある日突然豹変することがありますね。

何が原因だったのか、思い当たる時と当らない時が有りますね。そういう時は「不徳の致すところ」と言うしか無いのですが、許してもらえないのが大方です。

それをテレビや新聞で報道している人たちは、如何にも初めて耳にするような態度ですが、彼らも其処ここで目にし、体験しているはずです。

今回は、飽くまで調律師の立場で見聞きした事を書いてみようと思います。

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先ず、学校から引き取ったグランドピアノの修理を楽器店からの依頼で引き受けました。学校に有る古いピアノの鍵盤蓋に南京錠を取り付けた跡をよく見かけます。

生徒が勝手に触らせないためですが、中学生にもなれば、簡単に壊します。

すると二つ目を付けます。又壊します。鍵だけではありません。鍵盤も折り、中のアクションまでも手で引きちぎって壊しています。

世界最高級のピアノ(グロトリアン・スタインウェイ)の無残な姿が其処にありました。

修理をするにあたって、困ったことにはオリジナルのアクションが既に有りません。現在のアクションを使う場合は、鍵盤から設計をし直さなければなりませんでした。

どうして、こんなに酷いことをするのだろう。

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有る中学校で長く教鞭をとっておられる音楽の先生が仰いました。

「これを壊せば誰が損をするか中学生にもなれば解るからや、鍵をかけずに誰でも弾けるように解放してやれば良いのに・・・」

つまり、一部の人達の特権に対する妬み、不公平感,不信感から起るものでしょう。

次の例は、大学の先生を父に持つ、美しい小柄な御嬢さん先生。

授業でピアノを弾こうとした時にペダルの具合が悪いのでよく見ると、ペダルの下に消しゴムが挟んであった、というのです。

「誰ですか、こんなことをした人は」と問い詰めると、「僕です」と素直に告白しました。

「これは、良い事ですか、悪い事ですか」と言うと「悪いことです」と答えました

「悪いことをした時は、どうするのですか」すると即座に「ごめんなさい」

これは、完全ないたずらですね、先生をからかっているのです。

その程度なら未だ許せますが、その先生が3年ほど勤めた学校を辞めた時に、こう漏らしていました、「よう指折られへんかったわ」

ノイローゼになって登校拒否をした男の先生が二人。ピアノの音が悪くて心臓を患い入院された方が一人、何れも私のお客様です。

なんとも嘆かわしい話ではありませんか。

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嘆かわしい話は、他にも幾らでもあります。

竪型のピアノの天板を開けて中に弁当箱を入れたり、鍵盤の下にタバコの吸い殻が入っていたこともあります。

どうやって入れたのだろう、鍵盤を外さないと入らない筈なんだけど・・・

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もう一件、先生のお宅へ3時半頃(指定)調律に伺った時の事。

「生徒が、某中学校へ喧嘩をしに行く、と言うので先生たちが今行っているはずや、僕は調律師と約束しているのでと言って、帰へらしてもらった」というのです。

他にも色々聞かせてもらいましたが、ある日職員会議を始めた処、卒業生の人達数名が校庭にバイクを持ち込み在校生を乗せたり乗させたり、

注意するとわざと窓際まで来てエンジンを空吹かしして会議を妨害するという、当に、挑発ですね。先生をなめきっています。

実際のところ、それを止めるのは学校の先生では無理です。以上の例は、何れも中学校での出来事です。

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しかしこのような例もあります。私の息子が通った中学校の話です。市内で最も荒れていた学校なのです。

私は、ブラスバンドで有名な学校に行かせてやりたかったのですが学区制に縛られ、我が家では転校は不可能でした。

卓球部に入れたのですが、球拾いばかりさせられ「先輩、球を拾いに行きます!!」と、その都度言わされ、自分たちがラケットを持つ頃には暗くなってからと言うので、クラブを辞めさせました。ばかげた話でしょ。

あくる年、校長先生をはじめ、かなりの教員の入れ替えが有りました。こう変わりました。

まず、校長室に茶髪に染めた、当時ヤンキーと呼ばれる卒業生が入ってきて、椅子に座り足を投げ出し「お前は誰や」と言ったそうです。

その態度の横柄さに激高した校長先生は、何と言ったかは忘れましたが、最後に「出ていけ!!」と一喝したそうです。以来、来なくなったという話です。

その他にもその学校では、色々改善が認められます。

先ず、私が望んでいたブラスバンドが出来ました。息子にとっては渡りに船、とばかりにトロンボーンを持たせました。大変目立つポジションです。

その年の暮れに、町内の非行防止運動の一環として、高校と合同で町内パレードを行うことになりました。

高校生との合同練習で、先輩ともすっかり仲良くなり、高校へ進学後のいじめも心配しなくなりました。何故なら、彼は小学校の時から細くて、「蚊トンボ」と言う

あだ名がついていました。私がブラスバンドに入れたのも、或る先生から「ブラスバンドの子はいじめられないよ」と聞いていたからです。

何故か?とその先生に聞いたところ「自分らには出来ない、あのわけのわからん楽譜を弾くからでしょ」と言っていました。人間の感情って複雑ですね。

なんでも、一芸に秀でると彼らは一目置くようです。しかし、歌はだめですね。上手い下手は別にして、みなさん一家言持っているのです。

下の子もブラスバンドに入れましたが、ラグビーに変わりました。

彼曰く、男が女と一緒に合唱するとオカマ呼ばわりされる。確かに、この学校に限らずママさんコーラスに象徴されるごとく、女性の世界なのです。

大学のグリークラブはいいですね。月光とピエロなんて本当に素晴らしい曲ですね。

私は、昭和28年、コーラスの府代表でコンクールに出て、入賞を果たしたと云う自負心が有りましたので、そうした考えには納得いかないものが有りました。

やっかみかなァ・・・

また、コーラスに限らず、複数の人達が心を一つに出来る仲間を持つことが、その後の人生の支えになることも実感しました。

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私が、調律師を目指した動機の一つであったかもしれません。

コーラスと言うのはハーモニーが命です。又、各声部の抑揚とバランスが大事ですね。

今はやりの何とか48と言う斉唱は、私にはスポーツのスタンドの応援にしか聞こえません。と言うと、中傷、即ちいじめになるのでしょうか。

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クラシック音楽の原点が、キリスト教会の讃美歌だとすると、仏教徒の日本人にとっては飽くまで音楽ではなく音学になってしまうのですね。

本来、傷ついた人の心を神の力で癒す信者達の為に作られた物だと思うのです。

牧師の声も合唱も天使の声として高いドームに響かせて、「天にまします我等の父よ…」と霊験あらたかな雰囲気を醸し出すための演出だと思うのです。

従って、音は飽くまでも清らかでなくてはなりません。ピアノは弦の振動フォルティシモでも、あの重々しい、パイプオルガンの重低音は

キリストの足音と言ったオルガニストが居ます。

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以前からピアノの音が騒音として問題にされています。

有る住宅街の二階の窓際で調律をしていた時のこと、隣の家で雨戸を激しく開け閉てしていました。あまりしつこくするので、これは私に対する忠告だなと気づき、

窓を閉めて最後の調整に努めていました。終わって掃除にかかると、今度は非常ベルが鳴りだしました。

「エッ、この近くに学校か工場があったかなー」と見回してみましたが有りません。

「お前のほうが、よっぽどうるさいやないか」とは言いませんが、笑ってしまいました。

この場合、一応騒音基準はピアノに限らず、窓から1メートル離れたところで、60デシベル以下、というのが条例で定められております。

問題は音量ではなく音色なのです。

私は、以前にも良い音とは、先ず、うるさくない、長く聞いていても飽きない、疲れない、と書きましたが、極端な話、疲れがとれる音が有ります。

私自身の体験から得たものです。処が今、日本では一般的に、ピアノの音イコール騒音、雑音製造機と捉えられています。

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マンション住まいの私のお客様。グロトリアンを買って間もなく管理組合からピアノ持ち込み禁止と言われ、契約書には書いてないと言って

マンションを買った会社を訪ねた処、もはやその会社は有りませんでした。

引っ越しを迫られ,1歳の子供を抱えて転居も出来ず、やむなくピアノを手放さざるを無くなりました。

まさに社会的いじめです。

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従来のと言うか、本来のピアノは、今や電子ピアノに取って代られてしまいました。ピアノは電気屋さんで買います。

生徒「センセイ、デンシピアノオシエテクダサイ」

先生「・・・・・」

今や日本では、白黒の鍵盤はコンピューターのスイッチに過ぎず、それを操る人は精密なロボットと化し、ショパンもベートーヴェンもラベルも、

音符はハノンやチェルニーと同じ単なる順列組み合わせと化してしまいました。今やクラシックの世界は電気音まっ盛り。

大音響で絶叫しこれぞ芸術だと謳歌しております。

汗を流し猛烈なスピードと大音響で鍵盤を叩きまくる姿は、もはやスポーツですね。

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世は、拝金主義、偏差値主義が格差を助長し、ささくれた心が、コントロールを失い猟奇事件を引き起こしています。

シューベルトが「音楽は社会に対して何の力も持たない」と言ったそうですが、シューベルトの音楽が人の心を癒す時代が来ないかなァー

何時の時代も何処の国も難題山積、孫の先行きが案じられます。