はじめに
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シリンクスの会報が発行されるのを機に、ピアノの修理・再生をしてきた中で感じたことを思いつくまま書いてみようと思います。
題してピアノよもやま話。
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まず、私がこの道に入って感じたことは、西洋音楽、とりわけピアノに対して誤ったイメージを持った人々の多いことでした。
戦後、軍歌の時代を一気に払拭せんばかりにピアノブームが起こりました。ピアノメーカーも乱立し、一時は60社余りにもなりました。
日本を代表するヤマハは、1972年頃から81年頃までは日産800台を数えました。合理化と称して流れ作業を取り入れました。
ベルトコンベアにピアノを乗せて組立も調律も歩きながら行うのです。
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一方で、オルガンで間に合わす人達も出てきました。ピアノは高価で場所もとるからです。
その結果、ピアノ、オルガンの普及率は見事、世界一になりました。もちろん、調律師(アフターサービスマン)も増えました。
今は、土地のバブルが崩壊して5年になりますが、ピアノの世界ではバブルの始めも終わりも早くに起こりました。
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さて、世界一をほこる普及率は、そのまま西洋音楽のレベルを上げたでしょうか。残念ながら、それは従来の、或いは本来の
ピアノやオルガンの終焉をもたらしただけでした。
そして、ピアノのイメージも地に堕ちたのです。高価な玩具、騒音公害の元凶、教員になるための道具。
「ピアノなんて女子供のすること。きょうびバッハやベートーヴェンなんていうてたらメシが食えへん」というセリフがテレビで流れる日本。
しかし、今のカラオケブームを見る限り日本人も音楽は好きなはずなのに、どうしてピアノとなると殺人事件まで起きるのでしょう。
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いきなり、うっとうしい話になってしまいましたが、そうした中でひたすら、18、19世紀に夢を馳せ、音楽に人生を見出し、
趣味を分かち合う皆さんとの出会いを生きがいに、これからも今の仕事を続けようと思っています。
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そこで、最初に申しましたピアノに対する誤ったイメージが解消されるよう、一つ一つ、
出来るだけ分かりやすく説明していこうと思いますが、考えてみるとこれが大変な作業なのです。果たしてどこまで通じるでしょうか。
1 ピアノはどれもみな同じ?
私どもの工房の2階を会場とするシリンクスの例会も26回を数えます。その都度、いろいろな種類のピアノにめぐり合う中で、
皆さんの印象に残ったピアノにどういうのがあったでしょうか。「どれも似たようなものだ」といわれればそれまでですが、
ある程度ピアノに対するイメージが変わったのではないでしょうか。
例えば、ベッヒシュタイン(Bechstein)を弾いた人の話を集めると、
・深窓の令嬢、つまり高貴な響きだけれど、気に入らない人には見向きもしない。(ピアニスト)
・ピアノの表現力には限界があると思っていたけれど、これほど色々な音が出るとは気がつかなかった。
多くの作曲家がピアノ曲を沢山書くのもうなずける。(作曲家)
・あら、何もしなくてもいいわ(ベートーヴェンのソナタの一部を弾いて)。(ピアニスト)
・この世にこんなに美しい音のするピアノがあるなんて……(彼女はスタインウェイでショパンを弾くのが夢だった)。
これから色々な曲をやりたくなったわ。(愛好家)
・このピアノを弾きだして他のピアノの特長がよくわかるようになった。(ピアニスト)
・昔はスタインウェイより上と言われていた。こんなピアノが買えるなんて思わなかった。(中学校の先生)
・シューベルトとノクターンくらいしか弾けないじゃないの。(ピアニスト)
・イブシ銀の音というのはこれかなあー。シューベルトがいいね。(ピアニスト)
・実はドビュッシーが非常に好んだと聴いております。(私が最近ラジオで聞いた話です)
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ブリュートナー(Bluthner)の場合は、
・なまめかしい音がする。(愛好家)
・真珠の輝きがする。(ピアニスト)
・オーケストラの響きがする。(愛好家)
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グロトリアン・シュタインヴェヒ(Grotrian-Steinweg)の場合は、
・クラリネットの音がする。(作曲家)
・今まで見たピアノの良いところを全部備えている。(学校の先生)
・日本人に一番向いている。(中村紘子)
・何とも言えない音。(ピアニスト)
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フォイリッヒ(Feurich)の場合は、
・きれい過ぎる。(音楽学校生)
・奥深い森の湖を感じる。(愛好家)
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イーバッハ(IBACH)の場合は、
・きれい過ぎて、気持ちよくて練習にならない。(ピアニスト)
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ベーゼンドルファー(BOSENDORFER)の場合は、
・ダイヤの響きがする。(ピアニスト)
・この音聞いてたらうれしくなってくる。(小学一年生の男子)
・天使の声がする。(愛好家)
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スタインウェイ(STEINWAY & SONS)の場合は、
・このピアノで弾いて曲のイメージが違って感じた時は、今までのイメージが間違っていたのだ。(愛好家)
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等々、音を言葉で表現するには、どうしても無理な面がありますが、心理的な面を含めて、
色々な人がそれぞれの言葉で表現したものを書いてみました。
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どのピアノが1位とか2位とかランクづけすることはそう簡単にできることではなく、“いずれがあやめかかきつばた”といった面もありますが、
それぞれに微妙な違いがあるのです。また、調律、整調、整音、修理という作業の上で、その特長を生かすことが、
調律や再生に携わる者の使命なのです。
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こうした違いはどこから来るのか。まず、ここで“良い音”とはどんな音なのか考えてみましょう。
人間にとって良い音というのは人間の声にほかなりません。洋の東西を問わず楽器の原点は人間の声から出ているのです。
人間の声に一番近い楽器と言えばヴァイオリンやチェロです。
それに使われている材木はスプルース(ルーマニアンスプルース、アラスカスプルース、スイス松、エゾ松等)。松に似た木なのです。
ギター、チェンバロ、ハープ、ピアノ等の響板は同じ材料で作られているので、それらを合奏させても音がよく溶け合うのです。
それでも、人間の声に優る楽器はありません。楽器に求めるものとすれば音域と音量ですが、
それも人間の耳には自ずから生理的に限界があります。
人間の声にも色々あります。ダミ声、シワガレ声、鼻声それに子供のカン高い声(うるさい声)。
聞いていてイライラしてしまう場合があります。又、やさしい声、甘い声を聞いて幸福感にひたることもあります。
それは声量とは無関係なのです。あくまで音色なのです。音色とは何でしょう。ひとことで言えば倍音の組み合わせです。
例えば、Cの音を振動させますと、その振動の中に1/2・1/3・1/4・1/5……といった倍音が含まれています。
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(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
原音 1/2 1/3 1/4 1/5 1/6 1/7 1/8
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これは全く自然な物理現象なのですが、実際上ピアノの弦の振動音はさらに複雑な要素が含まれます。
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まず、強く張った弦(40kg位から140kg位、平均90kg位)のどの部分(基本的には1/8のところ)を
どういう物(現在は木にフェルトを巻きつけたもの)で打つか、そうして得た弦の振動をどのように増幅させるか、
つまり共鳴板の形状、材質、加工技術等は千差万別ですが、いずれも音色や音量に影響があります。
その無限に近い組み合わせからそれぞれのメーカーは独自の音楽観をもって方針を選び出しているのです。
これが絶対に正しい方法というのはないのです。それぞれのメーカーは、花にたとえれば、
バラでありキクでありユリであるように、独自のよさを持っているのです。
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余談ですが、昔、辻久子さんの使っている日竜だったか月竜だったか、そういう名前のヴァイオリンを作った峯沢さんの話に
「これはアマティとストラディバリウスとグワルネリウスの良いところをとって作った」と聞きましたが、どんな楽器なのでしょうね。